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GH Craft は、1970年 Gaku Kimura:G と Hikaru Kimura:H が、学生時代から創業の準備をするところから始まりました。 創立当初は、風よりも速く走る競技用ヨットや、小型舟艇の設計製作が仕事でした。その当時の舟艇は木造:軽量木構造が多く、1960〜1970年頃は急速にFRP(グラスファイバー強化プラスティック)に変化する時代でした。 木材は、天然の複合材料で繊維の方向性がある優れた材料です。船・舟・建築では、未だに優れた工業材料と言えます。50〜60年ほど前から優れた接着剤が工業化され、合板が市場に現れて以来、小型の舟艇や建築は軽量合板構造が発展しました。現在でも建築では2x4構造として生かされています。 合板は引っ張り・圧縮に強い方向(0度)を直角に奇数に組み合わせて(0/90/0度)優れたパネル材とした材料です。この強い方向性を持った材料で、流体力学的な船体形状の構造を作り上げる技術が木造船の魅力でした。 |
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このように創業期に、軽く強い船体構造を自分自身の手と頭で設計し、実際に造って走らせてみる、実際に競技に参加して優劣を比較することを繰り返しおこなっていました。 弾性率が比較的低いグラスファイバーが全盛の時代になりますが、木造の船体に比べて剛性が低く船底が柔らかく波で変形することから、軽くて耐久性で優れてはいるものの、FRPの船体は競技の世界ではなかなか優勝できませんでした。 FRPはグラスファイバーと熱硬化製樹脂:不飽和ポリエステル樹脂で構成されていましたが、軽く高剛性を求めてサンドイッチ構造など、さらに複合材料といわれるように、材料と成形加工技術が進化して行くことになります。 1970年には、ちょうど炭素繊維:カーボンファイバーが最も強く軽く高剛性の工業材料として市販が始まる時代でした。私たちが競技の世界では、この先端材料であるカーボンファイバーをいち早く取り入れました。 このころ先端の航空・宇宙機がハニカム構造や炭素繊維を用い、日本では釣り竿・テニスラケット・ゴルフクラブシャフトなどが主要な用途でした。 幸いにもGHは、日本の産業界・防衛産業より早く、競技用ヨットの世界を通じて世界の最先端技術を導入することができ、さらに SAMPE(先端材料技術協会 本部USA)の会員になり、知見と技術を高める道を進み始めました。 |
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1980年代、日本はモータースポーツ全盛時代を迎え、レーシングカーがカーボンファイバーを用いる時代に突入しました。GHもこの世界で仕事をするようになり、モータースポーツのProjectに参加しました。 この時期、CAD/CAM/CAE、Autoclave、など、デザインからModel、型ジグ、成形、組み立て、評価までを一貫して社内で行う態勢を整備しました。 |
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1990年代、バブルの終焉とともに、日本のモータースポーツは急速に収縮する時代に入ります。GHは、モータースポーツのシーズン、毎年、短期間に厳しい設計製作を繰り返す、開発サイクルを体験しました。ここで自動車産業の標準的な設計開発を学習し、世界のモータースポーツ最前線で開発期間を大幅に短縮する工夫と技術を活かし、新しい航空宇宙の世界を目指しました。 折しも、航空宇宙の世界もコスト最重視、Low Cost,Affordability!の時代に入り、従来高性能/高コストが当たり前だった航空宇宙の世界が、急激に新しいアイデアを求めるようになり、GHの挑戦が始まりました。 GHは、舟艇やレーシングカーの経験を生かし、短期間で型ジグ製作、衛星構体、試作機構体、搭載機器部品などなどを含めて、新しい工法などアイデアを持ち込むことに成功しました。 |
1998年 America' s Cup Nippon Challenge 日本チャレンジ・アメリカスカップ挑戦が再開。 過去の挑戦艇は、ヤマハ発動機さんが建造を担当しましたが、東大の宮田先生(http://triton.naoe.t.u-tokyo.ac.jp/index.html)をHeadとするテクニカルチームが船形と流体・空力からヨットの仕様を開発し、GHは構造設計から建造を担当する建造チームを指揮しました。 航空宇宙レベルの複合材技術でアメリカスカップ艇を建造する工作を、広く国内の若い技術者・技能者に学習してもらうために、全国から建造チームのメンバーを募集し、またセーリングチームも建造に参加し、GHのスタッフと共同作業で<阿修羅、韋駄天>を短期間、低コスト(予算内)で、異なる船形を実現しました。 アメリカスカップレースはサッカーのワールドカップ同様、非常にレベルが高く、Nipponn Challenge Teamは予選通過できませんでしたが、艇の建造プロセスを含めた品質は世界トップレベルを達成しました。 |